平和な赤紙

平和な赤紙

僕の夏休みは必ずこの赤紙を受け取ってから始まる。この赤紙は何かというと、おばあちゃんのダンスの発表会の招待状である。僕が生まれた時からこの発表会があり、だんだんと家族の中では招待状が赤紙と呼ばれるようになった。今年も母が「来ちゃったよ。みんな忘れないように」と号令をかけた。父は日にちも訊かずに「あーこの日はシンガポールに帰ってるわ。見られなくて残念だ」と言いながらも「わはははは」と笑っていたが、横で母がかなりムッとしている顔を見逃さなかった。

そんな父がいるシンガポールに僕はイギリスから帰国してからすぐに母と訪ねにいった。日本はずっと雨だったけれど、シンガポールでは一度も雨が降らなかった。日差しがある中、植物園に行ったり、国立博物館に行ったりした。初めてシンガポールの国の独立の経緯を知った。いくつかのブースでは日本が戦争まで攻めに入ってきていることが紹介されていて、母と2人で恥ずかしい思いをした。近くで親子が詳しく経緯を喋っているのを聞いて、胸が痛くなった。過去の過ちがこうして長く引き継がれることは必要なことかも知れないが、実際見たり聞いたりするのは、僕は心苦しかった。
ブースをいったん出ると、みんな平和な顔をしていて、僕たちを見ても誰も悪く言う人はいなかったことに安心した。

帰国してからは好きなものを食べたり、好きなだけ遊んでいられる自分に本当に世の中が平和だからこそできるんだなあと思った。ダンス発表会は結局母のきついひと言で父が来ることになった。僕はウトウトして何度も頭がコクリとなってしまい、母には早めに「ごめん」と言っておいた。母は「大丈夫よ、横でさらに白目を剥いている人がいるから」と言って父をじろっと見た。僕は「お父さんはさすがだな」と笑ってしまった。「でも平和だからこうして安心できるんだよね」と弁護したら、「そうだねー」とテーブルにいたみんなが笑って言った。ちいさな平和にも感謝と思った。
ダンス発表会と立教のみんなと会う日が重なってしまって、みんなと会えなかったが、寮で会えるのを楽しみにしている。立教英国での小さな平和にも感謝しようと思う。

(中学部3年生 男子)