「少年の日の思い出」語り手を変えて物語書き直しに挑戦!①〈国語科〉

「少年の日の思い出」語り手を変えて物語書き直しに挑戦!①〈国語科〉
中学部1年三学期の国語科では、「少年の日の思い出」という、ドイツ人作家へルマン・ヘッセの作品を学習しました。このお話は主人公の少年「僕」の視点でお話が進んで行きますが、主人公(僕)以外の視点になって物語を自分で作ってみよう!という学習をしました。それぞれが、僕の母親やエーミールという僕の友人になり、状況や気持ちがどうだったかを考え表現してみる。作者や主人公の気持ちを考えるだけでなく、本文には描かれていない登場人物の心情を想像することに挑戦しました。
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エーミールの視点から
(中学部1年生 女子)
 僕は子どものころ、ちょう集めをしていた。僕は色々なちょうを持っていた。
 ある日、僕のところに、隣の家の子が青いコムラサキを持ってきた。僕はそれを鑑定した。そして僕は珍しいことを認めたが、右の触角が曲がっていたのと、足が二本なかったというすごい欠陥を発見した。だが、彼はこれをたいしたものあと考えてなかったみたいだった。それから彼は、一度もちょうを見せに来なかった。
 それから二年経ったある日、僕は、クジャクヤママユをさなぎからかえした。僕の周りでまだ誰もクジャクヤママユを持っている人はいなかった。だから僕は、すごくうれしくてうれしくてたまらなかった。
 ある日僕が家に帰ると、僕の大切なクジャクヤママユがこわれてしまっていた。僕はすごく嫌な気持ちになった。するとその日の夕方に彼は来た。彼は僕に自分がクジャクヤママユをこわしたと言ってきた。僕はどなりつけたくなったが、あえて舌をならした。そして、しばらく彼を見つめて、そうかそうか、君はそんなやつなんだな、と言った。すると彼は、くやしそうに手足をふるわしていたが、何も言わずに帰っていった。僕はあの時すごく笑いそうになったが、こらえて、彼に思う存分プレッシャーをあたえ続けた。あの時の彼は一生忘れられない。あれから彼がどうしたか、僕は、知らない。
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エーミールがクジャクヤママユをさなぎから返した場面
(中学部1年生 男子)
 僕がクジャクヤママユを返して、とても喜び、展翅板にクジャクヤママユを置いて、少しの間部屋を出た。その後、部屋にもどるとクジャクヤママユが粉々になっていた。とてもショックだったけれど、急いでクジャクヤママユを繕い直すために努力したけれどだめだった。誰がやったんだろうと思っていると、そこに隣の家の子がやって来た。なので僕は、
「誰が僕のクジャクヤママユを台無しにしたんだ。」
と、隣の家の子に言った。そうしたら隣の家の子は僕が、クジャクヤママユを台無しにしたんだ、と言って来た。その時僕は、とても怒りが込み上げてきたが押さえ、隣の家の子を軽蔑して見た。
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エーミールの視点から
(中学部1年生 男子)
 まず僕は、家に帰ってきたとき、自分の宝石ともいえるものを壊され、必死にクジャクヤママユを自分の巧みな技術で元に戻そうと試みたが、自分の中の神経全てを使いやってみたものの、触角もなければ羽も壊れていて、直すよしもなかった。
 そのときの僕には、大切なクジャクヤママユを何者かに壊され、原因不明のままだという現実だけが残り、非常に不快だった。さらに、僕の独特な素晴らしい技術を持ってしても直せない、美しく見せることが出来ない。よりによって、その物がクジャクヤママユということを感じ、自分のプライドにもかなり大きな傷が入り、ショックに陥っていた。
 そして、遂に犯人が分かったが、僕は激したり、彼をどなりつけず、
「ちぇ。」
と舌を鳴らし、しばらくじっと僕を見つめ、冷淡に軽蔑的に僕を見つめた。
 なぜ、彼が犯人だと分かった途端、怒らなかったのか。それは、僕にとってプライドを傷つけられクジャクヤママユを直せないと実感したことより大きいことは何もなく、犯人が分かっても、何か言い出すのには時間がかかり、はっきり言えば、そのようなことを知らされてもあまり心に響かず、冷淡に軽蔑的にしか彼を見ていられなかった。
 そうして、彼がちょうを全てやると言い出したが、僕は以前、彼を軽蔑的、冷淡な感じで眺めており、返す言葉も冷然と正義を盾にしたように言葉を返し、僕はいらだつのを抑え、家に帰った。
 このとき、彼のちょうの全てをもらえるということがあっても直せないことに傷つき、冷静で、微妙な皮肉交じりの言葉しか返せず、彼に暴力を振るう気力もなく、彼の犯した罪を僕に印象強く与えることしか出来ず、僕は帰っていった。