イースター島に沈む夕日を眺めながら思ったこと

イースター島に沈む夕日を眺めながら思ったこと イースター島に沈む夕日を眺めながら思ったこと イースター島に沈む夕日を眺めながら思ったこと イースター島に沈む夕日を眺めながら思ったこと
2014年の新年は、モアイの謎に包まれるイースター島で迎えた。サンパウロから飛行機で約4時間半、アンデス山脈を越えチリの首都サンティアゴに到着、そこから飛行機を乗り継ぎ、さらに5時間。周囲にはほとんど島らしい島がない南太平洋に浮かんだ孤島。地図上で、ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結ぶ三角形の間をポリネシアという。イースター島は国としてはチリになっているが、住んでいる人々はポリネシアンだ。イースター島の名前の由来は、1722年、オランダ人によって島が発見された日がたまたまイースターの復活祭の日だったので、「イースター島」と名付けられた。
西暦800年くらいから作り始められたモアイ像。今まだ解明されていない謎が多い。先祖を奉るために神聖な祭壇の上にモアイを建てたことは分かっているが、どのように作ったか、どうやってこの大きなモアイを運んだか、ということは、色々な説があり、未だ分かっていない。1700年代半ば、島に人口が増えたことによる食糧難から部族間の戦争が激しくなり、モアイ倒し戦争が始まり、イースター島のモアイはすべて倒されてしまった。島のあちこちに倒されたモアイがあった。現在、イースター島で立っているモアイは全て復元されたものと聞き、驚いた。イースター島にある約900体のモアイの中で、復元されて立っているものはわずか40体。モアイが製造されていた石切り場に397体、運搬途中で放置されたもの92体、倒されているものが288体だそうで、立っているモアイがとても少ない。
クレーンも車も何もない時代に、切り出し、運搬、建て込みをすべて人力で行い、何年もかけて作った神聖なモアイを、人間の手で倒し壊してしまった戦争は悲しいものだ。イースター島で一番大きな15体の復元は、日本の企業が手伝ったことを聞いて日本人として誇りに思う。1995年に世界遺産に登録されたため、それ以降はモアイに触れることは許されず、倒れたモアイをもう復元することが出来なくなってしまった。
イースター島に沈む夕日を眺めながら、このような歴史的遺産が、これ以上無駄な戦いで傷つくことがないよう、僕は願った。
(高等部1年生 男子)