未来に刻む「今」

未来に刻む「今」

 長かった二学期を終了し、ホテル隔離も終えやっと家に帰ってきた。本来ならば喜ぶべき瞬間なのかもしれないが何故かこの作文に手をつけた今、どことなく寂しさを覚えている。これが寂寥感というものなのだろうか。この感情はどれだけ二学期が充実していたかの証だと思う。そんな二学期を少し振り返りたい。
 中3全員で立教にて過ごすのは今学期で最後、この事実はどうにも変えることのできない現実で、同時に、この二学期を全力で楽しむ、これが私達に課された課題であった。
 初めは中3全員の記憶に残る何かをしなくては、そんな焦りが13番教室を過ぎっていた。でも自然とその教室の中で起こる笑いや感動、空気感が何よりも幸せで、どれだけその幸せが私達の中に刻まれているか、段々と分かってきた。その証拠に今、その時間を思い出すだけで思わず笑顔が溢れてしまう。
 今回の作文、何か印象に残った出来事を書こうと思っていたが、すべての出来事にたくさんの内容が詰まっていてそれができそうにない。
 グループなんて存在しなかったほどみんなで楽しく過ごしたアウティング。直前まで鏡に張り付いていたクラス写真撮影。みんなのこだわりが強すぎてテーマ決めからつまずいたオープンデイも中3らしい結果を残すことができた。お尻が痛い上に寒すぎて文句しか出てこなかった教会外出。早く終わって自画自賛した皿並べ。ピンチな友達の気合い入れに必死だった期末テスト期間。これから新しい道へ歩みだす友達へメッセージを送るときに溢れ出した感謝と涙。最後の集合写真・・・。あれもこれも、思い起こしていくだけでどんどん白紙が埋まっていく。充実しすぎていたあの頃にはもう戻れないと考えると喪失感に襲われる。
 でもこんなことを考えてるうちに三学期になり、時を過ごし高1になって新しい仲間と出会い、時には拒み、そして徐々に受け入れ、また時が流れる。こうして私達の先には未来が続いている。こうやって過去を見て悲しさを覚える今も未来になれば小さな過去の出来事にすぎないのだ。
 でも、中3と呼ばれる日々が終わり、新しい仲間が増える未来でもこの今の心を失くさないで育てていけばいつまで経ってもその気持ちは「今」に存在し続ける。
 どんなに時が経っても中3に思う気持ちを大切に未来の今を過ごしていきたい。そんな事を思えるクラスの一員になれたことは本当に幸せな事だと「今」、思う。
(中学部3年生 女子)