復活日(イースター)に就いて〈高野晃一チャプレン〉

復活日(イースター)に就いて〈高野晃一チャプレン〉

 キリスト教では二つの大きなお祭り(祝日)があります。一つは「クリスマス 降誕日」で、私たちを救う救い主メシアであるイエスさまの誕生をお祝いする日です。イエスさまは神さまでありながら人間の姿を取りこの世に来られました。これによって人は神さまの救いと恵みを得ることが出来たのです。クリスマスは十二月二十五日と定められています。東方正教会では一月六日です。

他の一つが「イースター 復活日」です。イエスさまは金曜日に反感を持つユダヤ人たちによって十字架に掛けられ亡くなりましたが、三日目に死から復活されました。この日がイースター 復活日で、キリスト教会で最も古く最初に守られた祝日ですが年によって異なります。それはイエスさまの復活がユダヤ教の「過越祭」に当るからです。紀元前1250年、神さまが指導者モーセに命じてイスラエルの民をエジプトの奴隷から解放し、自分の故郷カナンに帰された歴史、苦難からの解放の恵みを記念するお祭りです。この日は「春分の日以降(三月二十一日から四月二十五日の間)の満月の次の日曜日」と定められています。ユダヤ教では安息日(土曜日)が礼拝の日ですが、キリスト教では主イエスさまの復活の日(日曜日)に礼拝の日を変えました。今年の復活日はこの数年では最も遅い四月二十四日になりました。来年は四月八日です。

死人からの復活など在り得るか信じ難いとの議論があります。これは証明することは出来ず、信じる以外ないでしょう。ただ復活の事実が無かったとするならば、これ以後のキリスト教会は在り得なかったと言うことは出来ます。例えば弟子たちの行動を聖書から読んでみましょう。

イエスさまと十二人の弟子たちは、主に活動していた北のガリラヤ地方から、過越祭が近づいたので日曜日に首都エルサレムに入城されました。多くの人びとは勝利を意味する棕櫚の葉を手にして「主の名によってこられる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」と叫んで歓迎しました。それからのイエスさまは毎日神殿の境内で人びとに教えられていました。

一方当時の権力者たち祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスさまを殺そうと謀かっていました。

そして木曜日の夜、イエスさまは弟子たちと最後の晩餐を共に去されました。先ずパンを取り賛美の祈りを唱えて弟子たちに与え、また杯を取り感謝の祈りを唱えて渡され、弟子たちは皆この杯から飲みました。この最後の晩餐が教会の最も尊い礼拝「聖餐式」です。この聖餐が行われるところ、目には見えませんがそこにイエスさまは臨在されているということこそ教会の信仰です。教会はこの聖餐式を二千年の間絶えることなく続けて来ました。

十二弟子の一人ユダの裏切りによりイエスさまは捕らえられ、当時裁判権を持っていた大祭司の屋敷に連れて行かれました。弟子のペトロも群衆の陰に隠れてこの屋敷に入りましたが、三人の人々からイエスと共に居た者だととがめられて、三度もこれを否定しました。当時イスラエルはローマ帝国の植民地でしたので、ローマの総督ピラトが支配していました。彼はローマの法律に照らして、イエスさまを死刑にする何の罪も認められず保釈しようとしましたが、ユダヤ人たちは十字架に掛けろと叫び続け、混乱を恐れたピラトはついにイエスさまに十字架の判決を言い渡しました。そして金曜日の正午から三時までイエスさまを十字架の刑に掛けたのです。これを見守っていたのは母マリアとわずかの婦人信徒だけでした。信徒の一人ヨセフが夕方までにイエスさまを葬りました。

イエスさまを裏切ったユダは自殺しました。あとの十一人の弟子たちはユダヤ人たちを恐れ信徒の家の屋根裏部屋に入り厳重に鍵を掛け隠れていました。そして三日目の日曜日の朝です。婦人たちがイエスさまのお墓を訪ねると墓は空でした。婦人たちは弟子たちにこのことを直ちに報告しました。するとその日の夕方イエスさまは隠れ家の中の弟子たちに自ら姿を現され「あなたがたに平和があるように」と言われました。恐れを抱いていた弟子たちはこの復活のイエスさまに出会い勇気を与えられ自らを恥じました。弟子たちがこの復活されたイエスさまに出会わなかったとしたら、その時点でキリスト教は失われ消え去っていたでしょう。

復活のイエスさまに出会い、弟子たちは何者も恐れなくなりました。直ちにエルサレムの街角に立ち、イエスさまの復活と福音を堂々と説教し始めました。さらに信徒の人々も弟子たちのもとに再び結集し、また沢山の人々が改めてイエスさまの福音に接し信仰に入りました。反対するユダヤ人たちの方が、むしろこれを恐れるようになりました。こうして、北のガリラヤ地方ばかりでなくユダヤ中にイエスさまへの信仰が広まり、さらにパウロ等によりユダヤ人でない異邦人の国々、小アジア(トルコ)、ギリシャ、ローマにキリスト教は伝えられやがては全世界に広まって行ったのです。

イエスさまは二千年前に地上に居られた時のように、今は人の目には見ることは出来ませんが、現在も生き救いの活動を続けておられる、それを証言しているのが新約聖書で、それを証しているのが教会の礼拝、特に聖餐式であると言うことが出来ます。これがキリスト教会の復活の信仰です。