2020年 JICA国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト2020にて学校賞受賞

2020年 JICA国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト2020にて学校賞受賞 2020年 JICA国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト2020にて学校賞受賞

中学1年生から高校2年生まで全員の生徒が「世界とつながる自分」をテーマとした、上記エッセイコンテストに作品を応募し、本校に学校賞が届きました。

「本コンテストは、次の世代を担う中学生・高校生を対象に、開発途上国の現状や開発途上国と日本との関係について理解を深め、国際社会の中で日本、そして自分たち一人ひとりがどのように行動すべきかを考えることを目的として」実施されています。

COVID-19の影響を大きく受けることになった本校の生徒たちですが、「社会貢献プロジェクト」や「WEBオープンデイ」、「ルワンダ講演会」を経て考えたところをエッセイにまとめました。

応募エッセイの一部を紹介します。

2019年3月から、私の父の駐在の関係から、ケニアのナイロビに住んでいます。私は1歳になる前から3か月くらいだけ、タンザニアのダルエスサラームにやはり父の駐在に同行したことがあるそうです。もちろん、私は小さかったので覚えていません。でも、ケニアに初めて降り立った時、どこか懐かしい気持ちになりました。私の名前の「エリカ」。これはアフリカにちなんだ名前です。父と母が南アフリカのケープタウンを訪れた際、大西洋とインド洋がぶつかりあって強い風が吹いている中、不思議な温かさをもって力強く可憐に咲く花、それが南アフリカ原産の「エリカ」だそうです。

1回目の駐在はタンザニア。2回目の駐在はケニア。他の国の駐在場所があったのにも関わらず2回ともアフリカ。これはキセキだなと思いました。

ケニアの空港を出て街に出たとき、私はびっくりしました。私の想像と大きく違っていたためです。よく聞くアフリカの様子や、ネットやテレビを通してみるアフリカ。それは地面のそこら中にゴミがあったり、家はボロボロ、地面には土というイメージで社会全体が「貧困」という言葉で表されるものだと考えていたからです。しかし、実際に街には車がアスファルトでできた道を走っていたり、ブランド品を持っている方がいました。アフリカ像の一面的な描き方にメディアの危険性を感じましたが、ナイロビにはアフリカ最大のスラム街と言われる「モガラスラム」があります。ここに住む多くの人々の仕事はモガラ地区の片隅にある屋台での売買です。私の父のドライバーもモガラに住んでいます。生活レベルは非常に低い地域ですが、小さい時からそこで育ったため、住みやすい場所であるという理由で一度このスラムを出ても戻ってくる人々もいるそうです。

現在はCOVID-19の影響で難しいのですが、その前は休みごとにここでボランティア活動をしていました。その内容は、ゴミ拾い、靴の配布、炊き出し、子供たちと学校で遊ぶなどというものです。ここには、メディアで取り上げられる以上の「アフリカ」があります。例えばゴミ拾いですが、とにかく大きなゴミの山がこの地域の至る所にあります。これをゴミ袋に詰めこむという作業をひたすら繰り返します。なぜこのようなことが起きるかというと、国のごみ処理施設が、日々発生するゴミの量に追い付かないためです。靴の配布も日本人からすると不思議な事かもしれません。現地の人の多くは裸足で歩いています。地面にはゴミはもちろん、ガラスの破片が落ちているなど、裸足で歩くには危険です。私の友人には、裸足で歩いてガラスでケガをし、そこから細菌が入り、足を切断した子もいます。こうしたことが起きないよう、日本でいらない靴を集めて、現地の人々に配布するのです。ご飯を食べることができない人々には、現地の日本食屋さんに交渉して協力いただき、食事を配布しました。現地の学校では、子供たちと遊びました。とても笑顔がきれいな子どもたちは性格もフレンドリーです。しかし、学校にさえ行くことのできない子どもたちも多くいます。その子たちのためにも何かできないかと心から思いました。

Asante sana-この言葉は私が大好きな言葉です。スワヒリ語でありがとうという意味です。私はこの言葉が大好きです。私はまだまだ学ぶことも多く、知らないことも多い存在ですが、どんなにボランティア活動が苛酷なものでも、この言葉と現地の人々の笑顔を見ることで、継続することができます。
私の名前にもかかわりのあるアフリカ。このアフリカは貧困などで苦しむ多くの人々がいます。政治や社会も多くの問題を抱えています。これからも少しでもこのアフリカのためにできることがあれば取り組んでいきたいと考えています。