聖マリアンナ医科大学卒業、同大学院卒
同大学小児科教授
聖マリアンナ医科大学病院 こどもセンター副部長 ハートセンター副部長
大学院卒業後はこどもの心臓病のエクスパートになるべく、榊原記念病院心臓小児科、トロント小児病院カテーテル治療部門で研修しました。現在は母校の病院の小児科で赤ちゃんから成人期に到達した先天性の心臓病の患者さんまで診療をしています。
memories
私は小学校6年生から中学校3年生まで、1979年から1982年にかけて立教英国学院に在籍しました。ちょうどマーガレット・サッチャーが首相となり、英国が大きく変わろうとしていた時代です。多感な中学生の時期を、そんな激動の英国で過ごしたことは、今思えばとても貴重な経験でした。パンクロック全盛期。街にはモヒカン頭に革ジャン、鋲のついた服を着た若者たちがあふれていました。不景気、失業、パンクロック。どれも暗いイメージではありますが、一方で「これから何かが変わりそうだ」という、何とも言えない空気がありました。当時の雰囲気が、私の記憶の中では「英国らしさ」として残っています。
そんな時代に過ごした立教英国での生活は、決して贅沢なものではありませんでした。教室はプレハブ、ベッドは狭い二段ベッド、食事の量は少なく、ひもじい思いもしました。それでも賢く、物知りで、個性豊かな同級生たちと生活を共にし、いろいろなことを語り合う日々は刺激的で楽しいものでした。
写真は中学3年生の頃の集合写真です。ご覧のとおり、同級生には美人が多かったことが分かります。今見返しても、なかなか誇らしい写真です。
「あのとき目の前で~好きだと言えたら……」と、ユーミンの歌詞のようなことを今さら考えて、小心者であった自分を少し悔いております。
右端に写っているのは、担任だった大塚稔夫先生です。残念ながら、6年前に膀胱ガンで亡くなられました。先生が入院されていた時には、同級生が集まってお見舞いに行きました。その帰り道は、いつの間にか久しぶりの同窓会になり、昔話に花が咲きました。その後も何度かお見舞いに伺いまいした。お身体の状態が悪い中でも、先生は私たちの訪問をとても喜んでくださいました。先生を励ますための面会でしたが、教師としての矜持を失わない先生の姿勢に私たちの方が励まされました。
左に写っているのは、もう一人の担任だった滝口先生です。最近はすっかり音沙汰がありませんが、お元気にされているのでしょうか。もしこの文集をどこかでご覧になっていたら、ぜひ近況をお聞きしたいものです。
もう一枚の集合写真は、おそらく中学1年生の頃の写真です。一番後ろの列に写っている背の高い男子は山中君です。中学2年生の時に帰国され、その後は会う機会もあまりありませんでした。何年か前に連絡を取ってみたところ、数年前に亡くなられたとお母さまから伝えられました。YouTubeにはご友人が作られた山中君を偲ぶ動画が残っています。立教英国時代と変わらず明るい性格で無類のサッカー好き。多くの人に愛されていたようです。
最前列の右端には一昨年亡くなった安達君が写っています。クラスで一番賢かった安達君は、高校生の時に骨肉腫を発症。その後、壮絶な闘病生活の末にがんを克服しました。しかし、その後、脳変性疾患を発症し。ゆっくりではありましたが、確実に病気は進行していきました。
ご家族、特に奥様の献身的な介護があり、状態が悪くなってからも同窓会には来てくれました。最後に来てくれた同窓会では言葉を発することも難しい状態でしたが、みんなと会っている時はいつも笑顔でした。大学卒業後はMRI機器の開発に従事していたそうです。一番賢かった安達君のことだからきっと素晴らしい仕事をしていたのでしょう。亡くなった時には、「私が先に死んで、安達が生き残った方が、ずっと世の中のためになるのに…。神様もよく分からない選択をするものだなぁ」そんなことを考えました。
右には、中学2年生の時の担任だった添田先生が写っています。個性はかなり強めでしたが義理人情に厚い、いい先生でした。そんな先生に対し我々は生意気な口ごたえの多い生徒でした。一昨年の夏、先生がリンパ腫を患い、入院中だと聞きました。北九州の病院に入院されていたため、すぐに面会に行くこともできず、みんなでデジタルの寄せ書きを送りました。その後、私は福岡に行く用事があったので先生のお見舞いに行くことにしました。電話で「これからお見舞いに行きます」と伝えると、「免疫不全の患者が入院する病室にいるので面会はできない」と言われました。しかし、私は構わず会いに行きました。
病室に入ろうとすると、看護師が集まってきて追い返されそうになりましたが、無理やり病室に入っていきました。先生は私を見て「お前、本当に来たのか」という顔をしていました。私は先生と写真を撮り、「頑張って病気に勝ってください!」と伝えて帰りました。わずか2、3分の面会。帰り際に先生の方を振り返ると、看護師に面会をしたことを強く咎められていました(怒鳴られている声が聞こえました)。面会の2か月後、先生は亡くなられました。
奥様に連絡してくれた庄司君の話では、先生は私たちが送った寄せ書きを何度も読み返しては、「自分はここに書かれているほど良い教師ではなかった。あの頃に戻りたい」とおっしゃっていたそうです。
俺たちも中学生に戻って、もう少しいい生徒になりたいよ。そうすれば、添田先生にもう少しいい思い出をあげられたのに。そう考えると、今でも涙が出そうになります。
message
立教英国で学んでいた時代、いったい自分にとって何が良かったのだろうか。今でも時々考えることがあります。
私にとって一番良かったことは、メディアから絶え間なく流れてくる余計な情報から少し距離を置き、自分自身の価値観を育てる時間を持てたことでした。インターネットを通じて世界中の情報が一瞬で手に入る現在、私たちが立教英国で体験したような環境をそのまま再現することは難しいのかもしれません。
それでも、日々の喧騒から一歩離れ自分の目で世の中を見つめ直すことは、今の時代だからこそ大切なのではないかと思います。
私は現在、小児科医として、主に先天性心疾患をもつ患者さんたちの診療に携わっています。有効な治療法が限られた病気を抱えながらも、与えられた環境の中で不平を口にすることなく、日々の生活の中に幸せを見つけながら生きている方々がいます。その姿を見るたびに、「幸せって何だろう」と考えさせられます。
後輩の皆さんは、あふれる情報に惑わされることなく、自分の目で見て、自分の心で考える時間を大切にしてください。
立教英国での日々が、皆さんにとって自分の軸を育てる大切な時間になることを願っています。
(写真1枚目)中学校3年生のときの集合写真(後ろから2列目右端がご本人)
(写真2枚目)中学校2年生のときの写真(修学旅行/後列中央右、茶色シャツがご本人)
(写真3枚目)私が添田先生のお見舞いに行ったときの写真。看護師に怒鳴られながら撮影。
(写真4枚目)添田先生への寄せ書き