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立教特派員レポート

二十世紀最大の画家 -ピカソの罠に気づいた時-


今回、スペイン旅行に行き、たくさんのピカソの絵を見てきました。

最初に行ったのはピカソ美術館。その名の通り、ピカソの絵がたくさん鑑賞できる美術館です。そこでは、ピカソの絵が時系列に並んでおり、ピカソの絵の作風の変化が目に見えて分かるようになっています。
ピカソは美術の先生の父を持ち、小さいころから美術とずっと関わっていました。そして十代の頃には、既に大きなキャンパスに絵を描いたり、大人用の大会に出場できるレベルの腕前を持っていました。その頃の絵は、写真のように上手で、私たちのイメージするピカソとはかけ離れた表情の細かさ、色づかいがありました。十八でパリへと出たピカソは、いろいろな人に出会い、学び、徐々に私たちの知るピカソのイメージへと近づいていきます。ピカソは時を経るにつれ、作風が変わっていくことが有名な画家です。例えば、友人の自殺により大きな衝撃を受け、青を基調とした絵ばかりを描いていた「青の時代」、恋人を得て明るい色調の絵ばかりを描いていた「ばらの時代」など。区切りごとに色やタッチが変わっていく様子はとても面白く、よくわからなくてピカソが嫌いだった私でも引き込まれていきました。

ピカソの作風に目を慣らした後、ソフィア美術館に「ゲルニカ」を見に行きました。有名なことは知っていたし、教科書で見たこともありましたが、怖いし暗いし、嫌いな絵の代表格でした。この絵には無差別に行われ、住民を大変苦しめたゲルニカ空襲の様子が描かれています。

実際に見て思ったことは、とにかく大きい!ということでした。人がまわりに群がっていても迫力を十分に放つ大きさからは、小さい頃に教科書で見た絵よりも、切迫した様子がよくわかりました。そしてモノクロで描かれていることに、私は希望の色の無さを感じました。死んだ子供を抱いて泣き叫ぶ女の人、暴れる馬、ナイフを持った腕...。本物の現場とは程遠い形なのに、実際の悲しい現場の想像ができました。ピカソは前もって決めていたデザインを、期限ギリギリで変えてこの絵を描いたそうです。ピカソは戦争の悲惨さを見る人に伝えたかったのでしょう。そしてそのためには、見る人に大きな衝撃を与える必要がありました。その結果、暗くて、怖くて、空襲をそのまま見てきたかのような絵を描いたのでしょう。

そんな絵が私はずっと嫌いでした。美術の教科書で見つけてしまうたびに、不快な気持ちになりました。いまになって思うことは、それがピカソの作戦なのでは、ということです。綺麗な絵しか見たがらない平和ボケした私のような若者に、現実であったことをわからせるため、心の隅に残させるために、嫌わせるために過激に描く作戦。私はまんまとその作戦にかかっていたようです。

今回の旅行を通してピカソが二十世紀最大の画家といわれる所以がわかった気がします。まだまだ理解できない絵もたくさんありましたが、これから時間をかけてゆっくりと自己解釈し、他にもしかけた作品がないか、見抜いていきたいです。

(高等部2年生 女子)
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