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立教特派員レポート

生きる。そして、つなぐ。


あの日もこんな朝だったのだろうか。
晴れ渡る空の下、そこは静けさに包まれていた。

今年の八月六日の広島。「70年は草木も生えない」と言われながら復興を遂げた街に、平和な世界を願う老若男女、すべての人々の祈りが広がった。

あの閃光、惨状は70年経った今でも体験した人々の中に深く刻み込まれている。忘れたことなど一度もない。

「広島をまどうてくれ。」

これは広島弁で「広島を元通りにしてほしい」という意味だ。あの日からずっと被爆者が訴え続けている悲痛な心の叫び。
あの時失われたのは人間だけではない。建物、自然、動物、人々の思い出や夢までも奪った。
70年前の広島は廃墟と化していた。人々は深い悲しみや絶望、苦しみの渦中にいた。

そんな街を、人々を勇気付けたのは一体何だったのだろうか。
それは、戦前から市民の足となっていた広島電鉄の路面電車、通称「ひろでん」だった。
当時、男性が戦地へ赴いていたため運転士をしていたのは女学校の生徒達だった。原爆投下の朝も通常運行していた。しかし、一瞬にして電車諸共消えてしまった。だが、爆心地に近いところを通っていたはずの三両が残っていた。奇跡だった。
三日後の八月九日。女学生らは考え、悩んだ末に電車を復旧、運行させたのだ。自分たちも被爆し、包帯をまいた体で、ただただ市民に勇気を与え、復興へと歩んでいくために。
その思いに胸を打たれた人々は一日でも早い復興を目指し、後遺症や偏見、差別に苦しみながらも生き抜いたのだ。

そんな街は1980年、全国10番目の政令指定都市となり、五年後の戦後40年の時には人口が100万人を突破した。今や日本の主要工業都市となり、全国10番目の人口を抱える程の大都市となったのだ。
南は美しい瀬戸内海に、北部・西部・東部は丘陵地帯に囲まれた自然豊かな広島を取り戻したのだ。
この場所で育った戦争を知らない世代は、「命と平和」について多くの事を学んできた。

だから私達は誓う。

被爆者の願いを未来へと繋ぎ、命を、今を大切に精一杯生きる。同じ思いを私達の子どもが味わうことのない世界を造ることを。

(高等部3年生 女子)
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