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立教生が綴る英国寮生活

冬休みに考えたこと


冬休みにおばあちゃんの家に行って気づいたことがある。猫の寿命が近い。僕ら家族の予想では、冬は越せないくらいだ。
小さい頃はよくしっぽを引っ張って引っかかれたりしていたが、今ではしっぽを踏んでも怒らない。昔は台所にも飛び乗っていたのに今では椅子にも乗れない。昔は追いかけると走って逃げていったやつが今ではむしろすり寄ってくる。そんな姿を見ていると悲しくなってくる。
ひいおばあちゃんも去年の5月3日に亡くなったのだが、安らかな死に方だったそうだ。自分もいずれそうなることを考えると、今現在やっていることの意味がよく分からなくなってくる。今積み上げているものが全て崩れる瞬間が死のように思えてならない。
死んだあとって何が残るのだろう?と半分冗談で友達と話したことがある。
その時は、家族とか、功績じゃん?と軽く流したのだが、実は違うように思えてきた。と言うよりは、死の定義するものが分からない。
脳死、部位的な壊死、他にも色々な死があると思うが、根本的に死が意味するものは何だろう。僕の持つひとつのイメージとしては機能の停止なのだが、それだけでは説明しきれない特別な意味合いが含まれているような気がする。
例えば、僕は色々なスポーツが好きで、調子が悪いときなどに、これは死んでるわ、などと言ったりする。スポーツをやっている人なら分かるだろう。しかし、この時の死んでいる、というのは、ダメだという意味で、決してどこかの機能が停止している訳ではない。

冬休みや夏休み、色々なことを考えていて考えても分からないことが意外と身近に多いことを知った。辞書的な意味や、一般論はあっても、それがしっくり来るとは限らないといった感じだ。それが分かる日は来るのだろうか。

(高等部1年生 男子)
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