最高の仲間

最高の仲間
正直に言うと、私の球技大会は勝つことにあった。楽しむことと勝つことは同義であった。負けるという概念すら持っていなかった。なぜなら全力で頑張れば結果が必ずついてくるものだと思っていたからだ。だからであろうか。試合が終わったとき、私の頭は呆然と宙に浮いていた。キャプテンとしてみんなに声をかけたくても体が動かず、応援してくれた人へのお礼の言葉も出ない。しばらくしてやっと体が動いたのは、いち早く我に返った後輩たちが泣き出してからだった。
ソフトボールを初めて経験したのは高校1年だ。なんとなく選んだ種目だったが、ミットに収まるボールの感触やら、フライをとったときの満足感に満たされて、ひたすら楽しいと感じていた。だから後輩にも同じように喜びや楽しさを知ってほしいと思った。この気持ちは決して偽りではない。だが、相手チームとの戦力差に圧倒される度、また真剣に勝利を求める度に、私は独裁者になっていってしまった。1週間という短い練習期間でひたすらバッティング、守備、バッティング…。自分に大した腕もないくせに、失敗すれば何度も注意してまた同じことを繰り返す。完全に悪循環だった。もちろん成功すれば激励したが、それはどれだけ皆の心に届いていただろうか。
結局蓋を開けてみると、私たちは負けていた。泣きじゃくる後輩を前に、一瞬冷静になるのを感じた。先輩として笑って慰めなければならないという使命感があったからだ。何とか必死に笑顔を作った。
それなのに。
「先輩たちに勝たせてあげたかった。」
それはずるいだろう。泣くしかないだろう。今までの努力や思い出が涙となってこみ上げる。止められるはずもなかった。けれど、負けたことが悔しくて悔しくて心が悲鳴をあげながらも、楽しかったという確かな満足がそこにあって、泣きながら笑った。他に、こんなにも複雑で強烈な感情を表す術がなかったのだ。
私は最後の球技大会を経て、また新たに学んだことがある。一つに、全力で頑張ったから必ず報われるわけではないということだ。しかしこれは悪い意味ではない。全力で頑張ったのは自分たちだけではないということだ。そしてもう一つは、負けることは情けないことではないということだ。声を掛け合い、励ましあい、常に真剣に努力してきた私たちは決して情けなくなかった。むしろ最高にかっこ良かったと私は思っている。だから胸を張って断言できる。私はこのチームで本当に良かった。
(高等部3年生 女子)