なぜ立教英国学院はキリスト教教育を大切にするのか

第1回 校長教育コラム

なぜ立教英国学院はキリスト教教育を大切にするのか

~「隣人を愛する」ことから始まる教育~

立教英国学院についてお話しするとき、多くの方はまず「英国にある日本の学校」「全寮制の学校」「英語教育に力を入れている学校」というイメージを持たれるかもしれません。しかし、本校の教育の根幹にあるものは何かと問われれば、それはキリスト教教育です。

もちろん、本校は生徒に特定の信仰を求める学校ではありません。私たちが大切にしているのは、キリスト教の価値観を土台とした人格教育です。学力や英語力を身につけることは重要ですが、それ以上に大切なのは、その力を何のために使うのかということです。

他者を思いやることができる人になるのか。
困難の中にある人に手を差し伸べることができる人になるのか。
自分と異なる価値観を持つ人を尊重し、共に生きることができる人になるのか。
そうした人間としての土台を育てることこそ、本校の教育の出発点です。
キリスト教には、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」という教えがあります。私たちは、この言葉を決して特別な理想論として捉えてはいません。

目の前にいる人を大切にすること。
相手の立場に立って考えること。
困っている人に気づき、手を差し伸べること。
その日々の積み重ねこそが、「隣人を愛する」ということだと考えています。

この教えは、立教英国学院の日常生活の中に深く息づいています。
本校は、小学生から高校生までが共に生活する全寮制の学校です。私はこの環境をしばしば「大きな家族」と表現します。年齢も経験も異なる子どもたちが同じ屋根の下で暮らし、共に学び、共に成長していきます。その象徴ともいえるのが毎日の食事です。本校では英国の伝統的なテーブルマナーを大切にしています。しかし、それは単にナイフとフォークを正しく使うことではありません。本来のテーブルマナーとは、一緒に食事をする人への配慮を学ぶことです。

隣の人は何を必要としているだろうか。
会話に入れずにいる人はいないだろうか。
相手が気持ちよく過ごすために、自分にできることは何だろうか。

そのように他者を意識して行動することが、テーブルマナーの本質です。
新入生の多くは、最初から英国式のテーブルマナーを身につけているわけではありません。しかし、隣に座る上級生が自然に声をかけ、ひとつひとつ丁寧に教えてくれます。そこには、「自分も先輩に教えてもらったから、今度は自分が後輩を支える」という文化があります。小学生から高校生までが同じテーブルを囲み、年齢を超えて語り合う食卓の風景は、まさに立教英国学院という共同体の姿そのものです。そこでは、相手を思いやる心、支え合う心、そして奉仕する心が自然と育まれていきます。

私は時々、生徒たちにこう問いかけます。
「隣にいる友人を大切にできなくて、どうして世界の人々と共に生きることができるでしょうか。」
国際交流や国際理解という言葉は華やかに聞こえます。しかし、その出発点は決して遠くにあるものではありません。まず目の前にいる一人を大切にすること。相手の立場に立って考えること。その積み重ねが、本当の意味での国際理解につながっていくのです。

本校のキリスト教教育には、もう一つ大切な考え方があります。
それは、「愛されているから、人を愛することができる」
ということです。人は誰もが神様によって与えられた、かけがえのない存在です。成績や能力によって価値が決まるのではなく、一人ひとりが尊い存在として愛されています。自分が大切な存在であることを知るからこそ、人は他者を大切にすることができるのです。
また、「赦されているから、人を赦すことができる」
ということも、私たちが大切にしている教えです。
共同生活の中では、失敗もあります。意見がぶつかることもあります。しかし、人は誰も完全ではありません。だからこそ互いを赦し、支え合いながら成長していくことが大切なのです。

立教英国学院が育てたいのは、単に英語ができる人ではありません。人を思いやり、人のために力を使うことのできる人です。本校のキリスト教教育とは、礼拝堂だけで学ぶものではありません。教室で、寮で、そして毎日の食卓で実践される「生き方の教育」です。

校長メッセージ
隣にいる友人を大切にできなくて、どうして世界の人々と共に生きることができるでしょうか。
立教英国学院は、その問いを日々の生活の中で学ぶ学校です。
世界で生きる力と、人を愛する心。その両方を育むこと。それこそが、立教英国学院が創立以来大切にしてきた教育なのです。