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各教科レポート

聴くこと 信じること〈林 和広 チャプレン〉


 今年は終戦70年目という節目の年を迎えましたが、終戦から数年後、英国でひとつの名作が誕生しました。それはC.S.ルイス(1898-1963)による「ナルニア国物語」です。第二次世界対戦中、オックスフォード大学モードリン・カレッジの特別研究員として活動していたルイスの家には数名の疎開児童たちが住んでいましたが、子供たちがあまり読書をしないのを見て、本を読む喜びを伝えたいという願いから「ナルニア国物語」の執筆を始めたと言われております。ルイスは聖職であった母方の祖父の影響もあり、クリスチャンとして少年期を過していましたが、宗教に疑問を抱き、無神論者となります。しかし、再び、信仰を取り戻し、キリスト教に関する著作を著し始めた後にこの作品が執筆されます。「ナルニア国物語」は七部に及ぶ大作ですが、これらの中の三部は映画化され、多くの子供達に愛されるファンタジー映画として人気を博しています。この作品には聖書的な思想が多く含まれており、聖書の授業の視覚的教材として用いています。ルイス研究家によれば、この作品にはルイス自身の人生における様々な悲しみ、痛みの体験の中でルイスを支えた目には見えない神様の眼差しというものが反映されていると言います。ルイスは神秘の国「ナルニア国」を描きながら、わたしたち人間が回復しなければならないもの、抱くべき心、生き方というものを示していると言います。
 「ナルニア国物語」の第一部「ライオンと魔女」は第二次大戦中の英国で空襲に遭うペペンシー家の四人の兄弟―ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーが、疎開先の屋敷の空き部屋で大きな衣装だんすを発見するところから始まります。そして、その扉を開けた時、神秘の国「ナルニア」に招かれます。「ナルニア」はライオンの姿をした偉大な平和の王アスランが創造した世界でしたが、兄弟たちがナルニアへ入った時、そこは白い魔女の支配によりクリスマスのない百年の冬に閉ざされていました。しかし、ナルニアで言葉を話す不思議な生き物たちからこの国の運命を変えるのは自分たちであると知らされます。四人の兄弟はそれぞれ異なる性格を持っていました。責任感が強く他人にも厳しい長男ピーター、慎重過ぎて臆病になりがちな長女スーザン、自信過剰で、狡猾な次男エドマンド、あどけない純真な末っ子のルーシー。ナルニアでの様々な出来事の中でそれらの性格がますます浮き彫りにされます。弱さ、未熟さを持った兄弟たちのありのままの姿がナルニアで露にされます。トラブルになればお互いに責任をなすりつけ合い喧嘩ばかり......。しかし、こうした経験を通して次第に彼らは自分たちの心の中を見つめ、自分の誤りに気づき始めます。そして、これまでに見たことのない世界を見て、視野が広げられて行きます。一人ひとりに変化が訪れつつある、そんな時に偉大な平和の王アスランとの出会いがあります。
 アスランはシンプルでありながらもわたしたちにとって忘れてはならない言葉を語ります。兄弟を裏切る狡猾なエドモンドの振る舞いを断罪しようとする側近に「何か理由があるかもしれない。」と理由を聴くようにと促します。自分は何も出来ないと自分を信じることができない長男ピーターに「自分を信じる」ことの大切さを伝え、励まします。そして、アスラン自身が彼を信じて、支えることを伝えます。第三作では大きくなったルーシーが姉のスーザンの真似事ばかりをして自分を見失う姿を見て、「自分の価値を信じる」ことを伝えます。映画の中でのアスランの言葉に私は何度も心を打たれます。
 自分の子供や他者との関わりを通して、しばしばしてしまうことは相手の思い、声を聴かずに一方的に怒ったり、裁いたりしてしまうことです。やってしまったことに対しては注意しなければならないのですが、「何か理由があるかもしれない」と聴く必要があるように思います。それによってその本人が抱えていることに少しでも触れることが出来るかもしれない、その人に変化が生まれるかもしれない、と思うようになりました。これは時間がかかることですし、苛立つこともあるかもしれないですが、「聴く」ことはやはり人間にとって大切なことなのだと思います。「聴く」ことは忍耐がいることですが、このことが「信じる」ということに繋がっていくのだと感じます。
 今日の社会において難しいことは「信じる」ことです。利用価値、商品価値で人を査定する現代社会では人間関係のモラルも大きく変容しています。「何が出来るか」「役に立つかどうか」が重要となっていますが、何も出来ない、役に立たなくなれば捨てられる社会です。成績、成果ばかりが重視される社会。他人からの評価に恐れを抱きながら生きている人が溢れている社会です。
 中学二年から親元を離れ、今日で言うアスリートコースに進学した私は文武両道を義務付けられていましたが、「結果が全て」の生活を送ってきました。寮生活から脱走したり、辞める人は後を絶ちませんでした。辞めずに残れたものの、テニスも勉強も中途半端に終わったように思っていた私は結果を出せなかった自分を責めました。しかし、幸いにも自分のこうした思いを聴き、アスランのような言葉をかけてくれる人々に助けられ、自分を信じることができるようになりました。その後、「神学」という学問をする喜びが与えられました。そこでは出来ない自分が責められることはなく、学問が持つ楽しさ、学ぶことの喜び、生きていることの素晴らしさを教えてくれるチューターたちとの出会いがありました。学問が苦手であった私の学習法や思考法がどのようなものかをゆっくりと見て、聴き、適切なアドバイスを与えてくれました。出来ないお前が悪いと頭ごなしに言われたことはありませんでした。「聴いてくれた」ことで私は救われたのです。これは勉強だけでなく人を育てること、人間関係を構築することに通ずることです。人は「聴く」ことで心が開かれます。他者に「聴く」ことで自分自身の視野が広げられます。お互いに「聴く」心を大切にすることでよりよい空間へと変容されていくのです。
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