帰る場所

帰る場所
iPhoneを使えない。恋愛禁止に近い妙なルールがある。外出の機会はほとんどなく、ロンドンに行くことが出来るのは学期に一度だけ。先生と四六時中過ごさなければならないし、プライベートとは無縁に近い…
時折こうして立教英国学院のことを日本の友達に話す。皆初めは普通とかけ離れたこの学校に興味を示すが、最後には決まってこう言う。
「何で辞めないの?」
自覚はなかったのだが、どうやら私は悪いところしか伝えていなかったようだ。しかし訂正を入れておく。私はこの学校に嫌気がさしたことはあっても、嫌いだと思ったことは一度もない。だから辞めたいと思ったことも勿論ないのだ。
高校2年までは休みが大好きだった。遊んで遊んで遊びまくって、また何ヶ月も学校に行くことを考えると、休みの終わりはとても憂鬱だった。しかし高校3年の夏休み、私は早く休みが終わることを心から望んでいた。受験生の夏に楽しみなどなくて、毎日が不安と恐怖の連続だった。皆に会いたくて会いたくて涙が出るくらい、精神的にまいっていたのだ。
私は、学校に行けば大丈夫だとわかっていた。皆と会えたら落ち着くことを確信していた。だって、帰れば皆がいる。「おかえり」と声をかけてくれる仲間や先生方がいる。相談にのってくれる友達がいて、時には自分が相談にのる。支えて、そして支えられて、一方通行でない存在意義が温かい居場所をくれる。先生だって例外ではない。四六時中共に過ごすから一人一人を見てくれる。沢山話して親しくなって、だからこそ大好きになる。いつも独りではないと思えるから安心する。皆がいるから、人と関わる喜びを知る。そんな中で不安なんて感じる暇がないのだ。
つまるところ、私は私が思っている以上にこの学校が好きなようなのだ。だから私は立教英国学院に帰る。私を必要としてくれる居場所に帰る。帰るべき場所に帰るだけなのだ。
(高等部3年生 女子)