奥野 卓也(1期生)(NO.3 2025.12 掲載)

奥野 卓也(1期生)(NO.3 2025.12 掲載) 奥野 卓也(1期生)(NO.3 2025.12 掲載)

1975年、父親の転勤で、中3の秋にアメリカからロンドンに移動。立教英国学院中学部3年に編入、中学部・高等部第一期卒業。国際_基督教大学卒業後、1984年立教英国学院に奉職、2019年4月から2025年3月まで副校長。その間、コロナ対応、オフステッド対策などに従事した。昨年、ロンドンに住む娘に孫娘を授かった。

立教英国学院で見た幻、そして今見る夢 ―第1期生として、教員として―
海運会社に勤めていた父の転勤で、私は中学2年の夏にニューヨークへ、そしてその翌年ロンドンへ渡りました。 当時、イギリスには日本の教育を受けられる日本人学校は存在せず、海外駐在者の子どもたちはそれぞれ苦労して学びの場を探していました。そんな折、立教英国学院に中学部があると知り、ロンドンから1時間以上かけて学校を見に行ったのが最初の出会いでした。森の中に_佇む洋館のような校舎を見上げながら、ここでの新しい生活を想像したのを覚えています。

中学3年の2学期に転入を検討していた時、在校生の多くは冬に帰国し高校受験をするという話を聞き、「それでは入学しても意味がないのでは」と思いました。 しかし、当時教頭だった宇宿先生が父にこう言われたのです。 「もし息子さんが入学してくれれば、高校を作ります。」
それを聞いた父は即座に「では、お世話になります」と答えました。駐在のタイミングで中学生の息子をアメリカ・イギリスへと連れてきた父こそ、選択肢の少なさとその重みを一番理解していたのだと思います。 ああ、この学校に来るのだな、とその時に感じました。

こうして始まった立教英国学院の高等部1年。男子3人、女子2人のわずか5人でした。
けれども最初の5人のうち、最後まで高等部を卒業したのは私ひとりだけでした。親御さんの帰任に際し、帰国して日本の高校へ編入する4人の友人たちを見送りました。
しかし、海外駐在者の増加に伴い高等部の需要が増え、途中から次々に同級生が加わり、卒業時には10人になっていました。同級生、後輩と寝食を共にする高校生活の時間は何よりの宝です。部活動、生徒会活動、オープンデイといろんな活動を楽しみました。

1977年、エリザベス女王のシルバージュビリー(即位25周年)を祝う地域のお祭りに参加し、同級生や後輩とバンド演奏をしたことをよく覚えています。その際、立教生が制作したエリザベス女王とフィリップ殿下、昭和天皇と皇后両陛下の大きな切り絵をバッキンガム宮殿に寄贈し、後日、生徒会長だった私宛に感謝の手紙が届きました。小さな学校から世界とつながった実感があった出来事でした。

学年が上がるにつれ、小学生たちとも親しくなりました。放課後になると、彼らはよく私たちの部屋に遊びに来て、ベッドの上で飛び跳ねていました。小学生寮が校門横のロッジにあり、寝る時間まで帰れなかったのです。今思えば、彼らにとって上級生の部屋は少し年上の兄のような安心の場だったのでしょう。

生徒だけでなく先生方とも深い絆がありました。若い学校を支える仲間として認めていただき、学生でありながらスタッフ見習いのように先生方の仕事を手伝いました。当時の先生方は授業だけでなく、学校運営に必要なあらゆることを自ら行っておられました。日曜の早朝に起こされ、若手の先生方と共に朝市のアンティーク市へ家具を買いに行き、ミニバスに積み込んだことも懐かしい思い出です。

高校1年の始めのころ、私たちは大学入学資格検定を受けて大学を受験することを想定していました。しかし、先生方や日本の縣先生、理事会、後援会の方々のご尽力により、私が高校3年のときに立教英国学院は正式に「日本の在外教育施設の高校」として認定され、大学受験資格を得ました。 1979年1月、共通一次試験が始まり、会場で高校コードの一覧に「在外教育施設」という高校コードが印刷されているのを見たとき、胸が熱くなりました。在外教育施設は立教英国学院だけで、共通一次試験を受ける自分だけのためにそのコードが存在しているような感覚 、あの瞬間、学校が本当に“高校”として認められたのだと実感しました。

高等部第一期生として、仲間と共に学校の成長を間近で見守り、支えられたことは、私の人生の中でもかけがえのない時間でした。

聖書の使徒行伝にはこうあります。
「若者は幻を見、老人は夢を見る。」
若者は未来のビジョンを、老人は希望の夢を見るという意味です。

日本で浪人生活を経て入学した国際基督教大学(ICU)の寮でも、私はイギリスで見た“幻”をさらに膨らませていきました。そして、母校の教員として戻り、以来40年を越える年月をここで過ごしてきました。多くの生徒たち、先生方、英国人スタッフとの出会いに恵まれ、在学時代と変わらぬ充実した日々を送っています。

担任として教室で過ごした時間、授業で真剣に学ぶ姿、ゲームで盛り上がった笑顔、少人数での展示や劇、サッカーをした日々、丘を歩いたこと、駐車場に寝転んで見たアンドロメダ座―40年の教員生活の思い出は到底書き尽くせません。

そろそろ「夢を見る」時期になっているのかもしれません。今見ているものが夢なのか幻なのか、 今日も生徒たちの声を聞いています。

(写真1枚目)近況(お孫さんと)
(写真2枚目)1977年スタッフサッカーチーム 後列左から3人目(左端は棟近元校長)

同窓生からのメッセージ No.3 PDF版を閲覧