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立教生が綴る英国寮生活

ミレースクール交換留学体験紀:「また会う日まで」





準備が思ったように終わらず、慌ただしくミニバスに乗り込んだ。私は南英のすこし見慣れたどこまでも広がる空の青と草木の緑に思いを寄せつつ、いったいどんなことが起こるのか予想もつかないこれからの出来事に心を弾ませていた。

待ち合わせ場所では、私たちと同じように久しぶりの再会に笑顔を見せる彼女たちがいた。
再会のハグを交わし、私たちはそれぞれの1週間の「自 宅」へと向かった。その「自宅」へと向かう車中、私とフィービーとの間には久しぶりの再会に対する緊張と期待が織りなす妙な時間が流れていた。そんなどことなく歯がゆい間をうめてくれたのはおしゃべりな彼女のお母さん、サリーだった。しばらくして日に照らされた木々がやわらかに影を落とす並木を抜け、彼女の家に着いた。

この一週間はあっという間の時間だった。その一つ一つを何度でも鮮明に思い返すことができるほど。一週間の経験はすべてが貴重なものばかりで書ききれないが、この交換留学を通して私が学べたことをいくつか紹介したい。

まずは学校でのこと。学校で過ごす時間はとても早く感じられた。それは充実していたという何よりの証拠だろう。異文化を体感し、理解しよ うとこの学校に入学し、この交換留学に臨んだ。しかしこの学校での日々が、異文化を学ぶということが決していいことだけではないということ、そしてそれらを含めたそのすべてを受け入れ自らもその文化の一員になろうと理解し努力することなのだ、ということをわからせてくれたのだった。

私たちはバディたちのホームルーム、いわば教室に案内された。イギリスは多国籍国家だからなのか、それとも他の言語でも交換留学を頻繁に行っているからなのかはわからなかったが、私たちの登場はたいして驚かれるわけでもなく受け入れられるわけでもなく...といった感じだった。授業は、たくさんの知識を吸収しようとすればするほど矢のごとく早く過ぎていった。昼食は彼女たちのホームルームである美 術室で食べた。そこはGCSEに向け、みんな粘土で造形をしていた。その粘土が直にこねられ、のばされ、粘土がまだ残る机での昼食...。驚いた。まず日本ではありえないことだ。しかし、これも貴重な体験だ!と自らに喝を入れ私もみなと同じように颯爽とランチボックスを開けた。周りはアルミホイルから出した生セロリ、食パン丸かじり、ポテトチップス...。と日本のお弁当文化が"bento"とそのまま外国に受け入れられ、賞賛される理由が分かった気がした。

初日から目が飛び出そうな体験をたくさんしたが、日がたつにつれ私にも余裕が生まれ、粘土がべっとりついた机もなんのその、なにも気にせず大口を開けてミレーの生徒との会話で笑い、サンドイッチを頬張るほどに。たとえ机に絵具がこぼれて いようと何事もないようにサッと拭き取り楽しいランチタイムを過ごすまでになった。慣れてしまえばどうってことない。相手の文化を知るためには今までの固定概念を捨て去り、彼女らをまねて、それを楽しむことが大切だと気づいた。郷に入っては郷に従えとはよく言ったものだと思う。そしてはじめは興味がなさそうに見えた子たちが話しかけてくれるようになった。好きな歌手の話題で盛り上がったり、互いの学校生活のことを話したりと、話題が尽きることはなかった。

 そしてやはりこの交換留学で一番心に残っているのはフィービーの家で過ごした時間だろう。日曜日はお父さんのベーカリー教室。水曜日は学校が終わり車に乗り込むと、座席に小さなつつみがあり、サリーが"Happy Wednesday present for you!!"とかわいいプレゼントをくれた。木曜日は朝起きるなりみんながPorridge Thursday!と言いオートミールを食べた。放課後、フィービーとBritish Bake Offという料理番組を見てケーキを焼き学校でみんなに配る。夜ご飯の準備の間に私はキッチンの隅に座りサリーの英会話上達レッスン。彼女は街に出ると子供たちに囲まれる小学校の先生。彼らのテキストを使ってすぐに使える日常会話をたくさんトレーニングしてくれた。日本とイギリスの早口言葉を紹介しあい、日英早口言葉大会もした。すべての時間がいとおしく思えて仕方なかった。時はいたずらに早く過ぎてしまったのだけど、フィービーの家に流れる時間はとても穏やかで温かかった。それは異文化を体験し、理解するとともに忘れていた日々の大切さを思い出させてくれたようだった。

 放課後には誰かの家に行って映画をみたり、ご飯を食べたり、ボーリングをしたり、公園で皆が童心に帰り 思いっきり走り回ったり、話をしたりした。特に何をしたわけじゃないし、私たちは生まれた場所も育った環境もまるで違う。しかし会話は弾むということを越し、思いが通じ合った喜びでハグしあい、わけもなく騒ぎ、短い時間だったけれどお互いを分かり合えた気がした。気が付いたら最後の夜になっていた。フィッシュ&チップスを食べつつ、みんな今日で最後だという現実から目を背けるかのようにくだらぬことで大声をあげて笑った。そしていつか、必ず再会しようと約束を交わした。場所は彼ら全員の希望で、日本ということになった。「私のお母さん日本語しゃべれるから手続きはお願いするわ!」「東京タワーに行きたい!!」「浅草に!!」「原宿に行きたい!!」「日本食を食べる!!」みん なが願う近い未来の話は尽きなかった。もう少し、もう少し一緒にいたい。全員がそう思い、願っていた。
しかし時間は待ってはくれない。泣き出す子もいた。立教に一緒に戻りたいと言い出す子もいた。私は背も低いし髪の色も暗めだから日本人として生きていけるかもしれない、と私に話しかけてきた子もいた。明日朝に会えるから!と強がる子もいた。

 別れの朝。どうしてもフィービーの顔を見ることが出来なかった。泣いて別れを告げたくなかった。私たちのバスが待つところへ向かう車中、私はフィービーとの間に流れる彼女と別れることの寂しさとこの一週間の楽しかった思い出たちが織りなす妙な間をもどかしく肌で感じていた。そしてサリーがこの間をうめようとこの一週間の出来事の感 想を求めてきた。私が答えるとサリーが「一度も止まらずにしゃべれるようになったわね!一週間だけだったけどすごいわ!」と褒めてくれた。その時まで気が付かなかったが、どうも伝えたいことを伝えるのに、今までのようなもどかしさは感じなくなっていた。英語でしゃべるほかなく、それ以外選択の余地がないという窮地に追いやられると人間は自らの気持ちを表現しようと言葉を手探りで掴み、ものにし、今までの何倍ものスピードで周りにころがるたくさんの言葉を吸収しようと努力するのだ。いくら勉強したってこうして実践の場をもって自分で言葉の壁を切り開いていくほか語学を習得する道はないのだな、そうはっきりと実感した。

待ち合わせ場所にはすでに迎えのバスが来ているにも関わ らず、何度してもしたりないハグをし、今を少しでも引き留めたい、と共に幾枚も写真を撮った。そうして最大限まで別れの時間を引き伸ばし、別れを惜しみつつバスに乗り、彼らに手を振り続けた。バスの中ではこの一週間のかけがえのない思い出を、それぞれが名残惜しそうに語りあった。そして私は、このどこまでも広がる空の青と草木の緑に、きっと来るであろう彼らとの日本で過ごす目まぐるしい日々を夢見た。

(高等部1年生 女子)
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