太陽と共にある生活

太陽と共にある生活 太陽と共にある生活

夏至は6月下旬、冬至はクリスマスが近い12月下旬にやってくる。周知の通り、夏至は最も日が長くなり、冬至は日が短くなる。カレンダーのなかった頃は日の長短や日没の位置を見て時季を読みとって古くから人々は種まきや収穫などを行ったし、時には地図のない時代の道しるべともなり、人間の活動が行われてきた。イギリスはオックスフォードを訪ねると、中世から続くあちこちのコレッジ(学寮)でそれぞれに美しくデザインされた古い日時計を見掛ける。いつも日の光が様々な恵みと知識を与えてくれ、私たちの生活は連綿と続いてきたと言えるだろう。

ところでロンドンは北緯おおよそ52°である。
北緯52°というのがどれくらいの位置かというと、東京がだいたい36°、北海道の北方の町稚内で45°くらいであるから、それよりももっと北ということになる。大雑把な言い方をすれば、稚内を出発して、北へ北へ東京-福岡ぶんをそのまま移動すれば、ロンドンになるだろうか。首都ロンドンといえどもイギリスの中ではかなり南にあるから、もっともっと北のスコットランド地方へゆき、北の先っぽの町になると58°くらいになる。
稚内よりも緯度の高いここで生活していると、一日の日の長さに、しみじみとありがたみを感じる。

冬真っ盛りの今は、寮生活の始まりである7時に起きると、外は真っ暗闇である。ささっと支度して体操や食事に向かうのも闇の中。食堂を出るとようやく空が白み、礼拝に向かう8時ごろ太陽が顔を出す。14時ぐらいには「夕方かな?」と思う西陽がさし、日没は16時ぐらいである。冬至のころだと15時には薄暗くて、室内の電気をつけなければならないほどだ。日照時間が短いと、なんとなく気持ちが平坦な、おだやかでも盛り上がるでもない変化の少ない気分が続く。

そのかわり、夏は明るい時間がとにかく長い。5月くらいから暑くなり、夏を迎えた人々は解き放たれたかのように薄着になり、外出が多くなり、夜遅くまで屋外でビールを飲み、食事をし、おしゃべりをして過ごす。極端な変化である。
実際、夏の夜は21時ぐらいまで明るい。スコットランドだと22時すぎまで明るいのではなかろうか。19時ぐらいに暗くなる日本の感覚で、「暗くなってから、夕食食べてゆっくりして、家族で過ごして」などとやっていると、あっという間にシンデレラ時間をすぎてしまい、夜更かしの始まりだ。夜更かしといっても朝は3時ぐらいには空がしらみ、気の早い鳥達が朝のさえずりを始めてしまう。筆者の自宅は寝室が北にあり、越した当初は、寝室は西側という日本の常識が邪魔をしてとても理解に困った。なぜなら寒いのである。とても寒い。しかし夏を過ごして納得した。寒さは暖房でどうにでもなるが、夏の陽射しはカーテンの工夫如きで遮れない。それが4時から始まり21時まで続くとなれば尚更だ。家の構造というものは、やはり気候と地理環境に影響されて成立するのである。なるほど、異なった文化背景の考えを、頭から否定してはいけないはずである。感覚も風習も、そして考え方の基盤にあるものも、環境が人の社会を作ってゆくものなのである。

鏡開きも近い1月11日の朝は、朝焼けがとても美しかった。西の空には乳白色の月が霞をかかえてにじみ、東はステンドグラスのような鮮やかさだった。日がのぼれば、機密性が高いお屋敷(立教の女子寮)の中はぽかぽかと温かい。太陽光が窓ガラスをとおって部屋がぬくめられる。日がのぼる光景を見ると、知らぬ間に胸の中にわくわくする気持ちがひろがっている。「天気がいいと気分もいいね」-自然に言葉が口をついてでる。